『ビートのディシプリン SIDE4』(上遠野浩平/電撃文庫)

 言いたいことは山ほどあって、例えば≪ちなみに彼は料理も上手だ。サムライだけあって、包丁使いがすごくうまいのである≫という文は、自分の創作したキャラクターとは言え、イナズマさんに対してどうなのさ上遠野先生、とか。しかし、それらをぶっちぎって敢えてこのシリーズを全肯定したいと思う。何はともあれ「カーメン」の意味を曖昧にせずきっちり説明したことを称えよう。意味と言うよりは、語源というか由来なんだがそれでもいい。全然構わない。てっきり、カーメンの意味なんて決めないまま連載を始めたんだと思っていたが、各話タイトルの付け方を見ると、最終的な落としどころだけは最初から考えられていたのかもしれない。恐ろしい。ただ、295ページの後ろから6行目あたりの説明はさすがにやりすぎ。そこまでされなくても分かりますから!
 作者本人は「普通」という言葉が死ぬほど嫌いそうだから、絶対に直接的な表現では言っていないが、「結局なんだかんだ言っても、普通の人間が一番偉い」という主張がブギーポップシリーズでは度々なされているように見える(例えば、何の変哲もない高校生の恋愛関係を肯定してみたり)。それだけなら、今までにも他の大勢の作家がやってきたことで、正直うんざりして本を壁に叩きつけてしまっていいような事なのだが、上遠野作品の特徴は、「でも、俺はその『普通』の中に含まれてねえんだよなあ」という苦い慨嘆が常に感じられるところにある、と思う。もうそれだけでちょっと泣けるのだが、他の人はどうなのだろうか。今まで西尾維新のことを「人情とか倫理を振り切った上遠野浩平」だと思っていたのだが、これは実は全く逆で、上遠野浩平が「安直なバイオレンスを卒業した西尾維新」なのかもしれない。