いま一番ほしいものは一貫性

 時間だけは売るほどある生活を送っていると、簡単に精神が危険な状態に陥ってしまいます。たとえば、以前に強烈にムカついたことが何の脈絡もなく唐突に思い出されて、その怒りのやり場に困ることなどが時々あります。今日思い出したのは、「それなりのキャリアを持つとある女性(ライトノベル)作家」が「最近話題のとある超大型新人(ライトノベル)作家」のデビュー作の巻末に書いた「解説」のこと。


 その内容をごく主観的に要約すると、ライトノベル(及びその周辺の)業界の現状に対して、その登場人物と作者と読者を意図的に混同した上で「結局あんたら、美少女とセックスしたいだけなんでしょう? 昔の少年はもっと高潔だったわよ!」と、言いがかりとしか思えない文句を撒き散らすだけのものでした(その新人自体についての記述は、文章全体のごく一部でしかありませんでした)。これを読んだ直後は、我ながら荒れに荒れました。この女性作家を殺害する方法を真剣に考えたほどです。その余波で、周囲の人間との関係にも齟齬をきたしたりもしたのですが、それはまた別の話。
 しかし、いま改めて考えてみると、これは激怒よりも脱力、あるいは恐怖すべきところだったのかもしれません。どれだけ技術と才能と意志を注ぎこんで作品を作り上げたところで、伝わらない人には絶対に伝わらない。その厳然たる事実を、これ以上ないほど明確な形で思い知らせてくれる文章なのですから。趣味にしろ仕事にしろ、創作をしている方々には、一度は読んでおくことをお勧めしておきます。
 ライトノベルブーム、というものがここ最近続いていて(そろそろ終わるでしょう)、その中でライトノベルというジャンルそのものについて、業界の内外から様々な批判が浴びせられたのですが、これから重要なのはその取捨選択なのだろうと思います。それにどう対応したところで決して相手が満足しないことが予想される、あるいはそれに応えることでライトノベルライトノベルでなくなるような不当な要求に対しては、作家及び出版社が、ある程度耳を塞ぐことも許されるのではないでしょうか。いやむしろ、積極的に塞ぐべきなのかも。いっそ「奴ら」の口を塞いでしまったほうが早いか?


 と、陰謀論的な仮想敵まで登場し始めて、そろそろ本気で脳がヤバイので、今日はこの辺でやめにしておきます。最後に今までの展開と関係のあるような無いような個人的な考えを述べさせてもらうと、小説に限らず、映画でも音楽でも、とんでもなく大ヒット(CDだとミリオン、とか。発想が曖昧で貧弱ですいません)する作品というのは、どこか天然というか、誰かに否定されたりする可能性をこれっぽっちも考えていないような、ある意味隙の多い作品が多いような気がします。発表後に加えられるであろう批判を先回りして予測し、それに対応しようとする作品というのは、どこかひねこびてスケールが小さくなってしまうものなのかもしれませんね。