秋茄子は墓場まで持っていけ

 「中華料理の店」という名前の中華料理屋と同じぐらい楽しげな誌名を持つ雑誌が存在します。というか存在するらしいです(不幸にして、実際に読んだことはまだありません)。そのWEB版の中に「今月の新刊採点」というコーナーがあるのですが、そこで、私がそれなりに愛着を持っている本が二冊(作品はそれなりですが、作者はどちらも切ないほど愛しています)取り上げられていたという情報を入手したので、狂喜しつつ読むことにしました。
 アルファベットによる評価の方は、まあ概ね妥当と言えるもの(CやDが無闇に多いのは、恐らくA〜Zまでの二十六段階評価なためでしょう)であり、頷きこそすれ特に疑問を抱く必要のないものでした。しかし、文章による詳細なレヴュー、こちらは殆ど理解不能(失礼。私のように浅学非才のものには、ということです)なほどに難解なものだったのです(なんだか、以前にもこんな内容の文を書いた気もしますが、多分デジャヴュの一種でしょう)。


 その内容を簡単に説明すると、多くの採点員の方の文章は「主人公、引きこもってねえじゃん!」とか「こいつら、高校生のクセに頭良すぎ。ありえねえ!」といった、ネット上の多くの素人書評家ならば確実に末尾に(笑)を付け、その直後にさっさと改行して「さて、冗談はともかく……」と本題に入るであろう、言わば話のマクラにしか成り得ないような瑣末な事柄について、顔面を醜く充血させて口から大量の唾液を飛ばしながら(イメージです)本気で主張なり罵倒なりしてみせるという、何か悪い冗談のようなものばかりでした。
 何故こんなことになったのでしょう? この採点員の方々のプロフィールを私はよく知りませんが、少なくとも商業出版になんらかの形で関わっている人々であるのは間違いないと思われます。そのような、仮にも文章を書いたり編集したりすることで糧を得ている方々が、引きこもり気味の男子大学生が毎日の手慰みに更新する程度の書評サイト以下の、表層的としか言いようのない批評を垂れ流すなど、ありえない、いえ、あってはならないことのように私には感じられました。
 三日三晩(誇張です)悩んだ末に、灯りを消した自室にカーテンの僅かな隙間から差し込んだ月の光を目撃すると同時に(幻想です)、ようやく一つの啓示らしきものを得ることが出来ました。その「答え」は、ごく短い単語で表現することができます。すなわち、


 ツンデレ


 ということです。
 つまりこの採点員さん達は、ただちょっと素直になれないだけの、とっても可愛い人々だったのです。「この本にはぜんぜんついていけませんでした」「頭が良いならその辺も割り切って考えろよ」「しょっぱなのイラストはいらないと思う」などの、成人した人間が書いたとは信じられないぐらい頭の悪い、素朴過ぎる嫌オタク・嫌インテリの感覚だけで発せられたかに思える無意味な批判(本心ではなくあくまでも「批判のための批判」なので、こんなに底が浅いのです)を、いつものようについムキになってやってしまいしつつ、その胸の奥では『でも、ホントはね、ずっと好きだったんだよ……?』と涙を流しているわけです。その真実を読み取れなかった私こそが銀河一の愚か者だったのだと、今は思えます。


 こんなに切ない、ネットから生まれたラヴストーリー(『電車男』? ハッ!)を見逃す手はありません。みなさんも、いますぐその愛を目撃しましょう。


 おお! 『WEB本の雑誌』に幸あれ!