『ロボットの時代』(アイザック・アシモフ/小尾芙佐訳/ハヤカワ文庫)
初めて知った原題の見も蓋も無さに唖然。「残りのロボット」ってあんた。あれ、でももしかして「ロボットの休息」が正しいのか? 解説では前者にしてるけど。
解説にも書いてあることだが『われはロボット』に比べるとまとまりがあまりなく、三原則以前のけっこう自由に動き回るロボットが登場するSF小噺みたいな作品も収録されてて、最初は面食らったがこれはこれでシンプルで面白い。というか、スーザン・キャルヴィン博士が出てるから、他はもう何でもいいんです。
普段は冷徹だが人間的に脆いところもある(最後に収録された「校正」のラストとか)という点が、キャルヴィン博士というキャラクターにおいては大きな魅力になっているのですが、たとえば真賀田四季に多少なりとも人間味があったりしたらと想像するだけで死ぬほどげんなりしてしまうわけで、その違いって一体なんなんでしょうね。
「『オーラの泉』が怖くて見れません」という人となら文通してもいい
めりー(ノルマ。むしろカルマ)。
「棒を見たら男と思え、穴を見たら女と思え」という、トラトラウマトラトラウマリビリビドー的思考信仰というのが、どうしたわけか今だに根強く残っていてるのを方々で見るにつけ、あれえ、おかしいなあ、二十一世紀、のハズなんですけどなあ、とぼやいたりすることがままあるのですが、逆に「男を見たら棒と思え、女を見たら穴と思え」を信条としている人の方が遥かに有害で、しかもその数もずっと多いという事実に気が付いてしまったので、今日はもう梅酒かっくらって寝ます。また来世!(やっちまった)