『ロボットの時代』(アイザック・アシモフ/小尾芙佐訳/ハヤカワ文庫)

 初めて知った原題の見も蓋も無さに唖然。「残りのロボット」ってあんた。あれ、でももしかして「ロボットの休息」が正しいのか? 解説では前者にしてるけど。
 解説にも書いてあることだが『われはロボット』に比べるとまとまりがあまりなく、三原則以前のけっこう自由に動き回るロボットが登場するSF小噺みたいな作品も収録されてて、最初は面食らったがこれはこれでシンプルで面白い。というか、スーザン・キャルヴィン博士が出てるから、他はもう何でもいいんです。
普段は冷徹だが人間的に脆いところもある(最後に収録された「校正」のラストとか)という点が、キャルヴィン博士というキャラクターにおいては大きな魅力になっているのですが、たとえば真賀田四季に多少なりとも人間味があったりしたらと想像するだけで死ぬほどげんなりしてしまうわけで、その違いって一体なんなんでしょうね。

『青い花』(志村貴子/f×COMICS)

 志村貴子があるじゃないか2。百合漫画。もしかしたら、多少年代設定が古い。


 悶えて悶(略)。しかし、これがすごいのは『放浪息子』が四巻かけて徐々に上げていったのとほぼ同等のテンションに、開始時からいきなり乗っかっているというところなわけで、これからどうなるんだろ。逆にどんどん落ち着いていくんでしょうか。

『放浪息子 4』(志村貴子/BEAM COMIX)

 志村貴子があるじゃないか。


 『ラブロマ』の時のようにネタバレを糾弾されても困るので、本当に感想だけ書きますが、今回の展開には悶えて悶えてしょうがなかったです。つくづく自分の部屋で読んでよかった。他人の家とか本屋で、床を転がり回るのはさすがにマズいでしょうから。
 帯の「ぼくたちの、いさかい」って、可愛く書けばいいってもんじゃねぞ。いや、可愛ければいいか。一巻だかの帯に「思春期前のうんたら」という表現があって、小五、六はもう既に思春期まっさかりなのではと首を傾げたものですが、この巻ではちゃんと「思春期を彷徨い惑う少年と少女たち」となっていたので安心。こっ恥ずかしいけど。

『短歌があるじゃないか。 一億人の短歌入門』(穂村弘 東直子 沢田康彦/角川書店)

 素人が投稿した短歌を、プロの方々がぼっこぼこにする本。


 とりあえず、穂村弘って歌人としてはちゃんとした人だったのかという驚きが第一。あああ、ほむほむが解説してる、解説してるよ。
 あとは、どんづまりの状態で「短歌があるじゃないか」という発見が小さな希望となるためには、少なくともこのくらいには詠めなくてはならないのだななあ、とか。へっ、短歌なんざこっちからお断りだね!




 いま気付くなぜこんなもの舌から落ちるこぼれ落ちるいくら二粒

『BLOOD+』12話

 二週間ぶりに見たら、ジャングルの先にあった洋館でバイオハザードというかハウス・オブ・ザ・デッド、というなかなか楽しい展開になっていました。やべえ、やっぱアニメは毎週見ないと。
 わかりやすくグログロ。あまりにも露骨すぎるので、鼻につかんでもないですが。そういや、高校の同級生に「グロい」が口癖の男がいましたっけ。何にでも醤油かけるおっさんの如く、なに見ても「グロいグロい」。いまにして思えばかなり天才的な言語感覚です。
 佐々木望声で「我々の(ベトナム)戦争を!」とか言われると否応なくガンダムXが思い出されてしまって泣ける。予告編の「レッツ・ダンス」にも涙。レッツ・ダンスて。

「『オーラの泉』が怖くて見れません」という人となら文通してもいい

 めりー(ノルマ。むしろカルマ)。


 「棒を見たら男と思え、穴を見たら女と思え」という、トラトラウマトラトラウマリビリビドー的思考信仰というのが、どうしたわけか今だに根強く残っていてるのを方々で見るにつけ、あれえ、おかしいなあ、二十一世紀、のハズなんですけどなあ、とぼやいたりすることがままあるのですが、逆に「男を見たら棒と思え、女を見たら穴と思え」を信条としている人の方が遥かに有害で、しかもその数もずっと多いという事実に気が付いてしまったので、今日はもう梅酒かっくらって寝ます。また来世!(やっちまった)

『七度狐』(大倉崇裕/東京創元社)

 落語ミステリ。狐こわー。


 霞流一の解説のカッコ良さに惚れる。いやむしろ心のペニスが屹立する。作中で落語について使われている言葉を借りて、本格ミステリは「陽の芸」であると断言するくだりなんて、射精ものですね。ミステリの解説には、やはりこの手の思い入れ(とウイット)たっぷり系が似合っている気がします。